田山翔ー

オリジナルの作品の公演及び演出ほか、企業・行政・市民団体・個人からの依頼にもお応えしています。

プロフィール

1949年三重県生まれ。
2010年兵庫県芦屋市から静岡県伊東に移住。
58歳で突如4児の父となる。
2009年6月東久邇宮文化褒章拝受。

舞台芸術(演劇・音楽朗読劇・ミュージカル・コンサート)
ラジオ・雑誌
ファッションショー
EXP0・オリンピック・国体
企業コンセプトメーカー
各種イベントにて演出をサポート
文化祭・発表会・学園祭など

子どもたち・学生・市民の方たちの表現したい!を応援しています。

「一部の特権意識の人たちのみの芸術的文化感動ではなく、民衆の日常生活の中にこそ、その文化感動は活かされて欲しい」

その思いは、阪神淡路大震災体験後ますます強まり、最近では子どもたちのいのち輝く表現の場としての各地域でのミュージカル舞台表現や朗読教室。

さらには親子のためのオリジナル童謡コンサート、若手の自己表現のサポートを楽しんでいる。
影のサポーターを好み40年近く活動しているが、ほとんど名を刻むことが嫌いなのと視覚障害者でもあるので、ネットやメールなどもでず露出度も控え目。

しかしハートフルという言葉をいち早く1976年にブームにのせたり、邦楽とくに三味線コンサートのブームの火付け役やレナウンのファッションショーや各万博やオリンピックの閉会式等行なう他、日本全国の主要劇場ではすべて公演を行なっているという。
仏に焚能を紹介した人物でもある。

ただ今は、美術スタッフの仲間が福島相馬に震災にあい津波に遭遇し、亡くなった事をきっかけに、自らも「まごころエイド311」チームを立ち上げ、被災者に支援物資を提供する活動も同時に行なっている。

生まれつき網膜色素変性質症という視覚障害の難病を抱えている上に、2008年、突発性難聴にも襲われ片耳は聞こえていない。

しかし、なんら演出・脚本・作詞活動には影響はなく、むしろそれを活かして自らの個性を輝かしている。
その感性は、音楽・演劇などの舞台表現にとどまらず、あらゆるシュチエーションにおけるヒューマンなパフォーマンス演出で多岐にわたるニーズに応え、心に残る感動を創出している。

シンプルな演出の中に垣間見る新鮮なその感動は、「TAYAMAJIC」と称されている。

「どのいのちも輝く存在であり、生きることを楽しむために、この世に生まれてきた存在である」ということを表現活動の場で出逢う人々に実感してもらうことを喜びとしてる。

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